ハッピーアイスクリーム~自由を望む2人の民~

ハッピーアイスクリーム〜自由を望む2人の民〜

ストレスフリーに生きることを望む2人の民によるブログです!ぜひご覧くださいっ!

タイムリミットかっこ闇

 

異動が決まった。

 

 

異動といっても家から余裕で通える距離だ。

 

 

だが、職場環境的に休みが今まで以上にとれなくなるのは間違いさなそうだ。

 

 

給料が上がるわけではない。

 

 

やることが増える、異常に。

 

 

ただそれだけのこと。

 

 

最近ようやく今の職場の人が、人によってはまあまあ仕事してくれるようになり、人手不足も一応のところは解消し、あとはクレームが出ないような組織づくりや仕組みづくりをしていけばよかったのだが、異動になった。

 

 

そもそも今現在の職場で遅くまで残り、仕事に力を入れていたのは自由な時間を増やし、転職や独立に時間を割けるように職場環境を直そうと思っていたからなのだが、職場が変わってしまったらまた1からやり直しだ。

 

 

1からどころか、もしかしたらマイナスからのスタートになるかもしれない。

 

 

働くのは人に貢献するスキルがあることを担保する行為だと最近思うようになった。

 

 

接客業であれば、誰かの休日に幸せを創造する手伝いをするスキルがあることを行動のもと担保するし、製造業であれば誰かの生活を豊かにする物を作るスキルがあることを担保する、公務員であれば、公共の調和を保つスキルがあることを担保する、そん感じ。

 

 

社会を大きな集団の人間関係と解釈するならば、何かしらのスキルを持っていて、それを行使して他者に貢献することで、逆に他者から何かしらのスキルを行使され貢献される仕組みが社会人として働くことの意味となり、無職の人間は他者に貢献していないのに他者から貢献されようとしているために疎まれるのだと思う。

 

 

その貢献具合を目に見える形で具現化したものがお金で、そのお金が本来の関係を分かりやすくしているようにみえて、実は乱してもいて、そのお金を稼ぐ際に必要以上に苦労したり、苦労させたりするから、社会には歪みが生まれる。

 

 

社会の歪みの形の1つとしてサービス残業や過剰労働があるとするなれば、僕は異動先でその歪みに直面することが確実なわけで、その歪みが計り知れないからこそ、不安になる。

 

 

ただでさえ、今現在の貢献の形、つまり仕事内容や働き方に対して不満を持っているのに、そこから脱却する時間が消えていくと思うとなんとも恐ろしい。

 

 

正直今までの自分は恵まれていたと思う。

 

 

23の歳になっても実家で暮らせて、結構な時間寝れたり、友人と遊ぶだけのお金があって、お腹が減ったらお腹いっぱいになるだけ食べることも出来る。

 

 

そこに慣れてしまっているからお金がなくても大丈夫とまではいえないけど、こんなに贅沢しなくてもいいから必要以上に辛い思いをして働きたくなぁって感じる。

 

 

社会で求められる貢献のしあいの度合いが今強くなりすぎている気がして、学生の時はお金なんてなくても楽しめることなんて山ほどあったのにって考えると、なんでこんなにお金を稼ぐのに苦労しなきゃいけないんだろうって感じることが多い。

 

 

もちろん自立するためにはお金が必要なんだろうけど。

 

 

あぁ異動先が怖い。