【小説】奥山晶が来る。
教室の片隅の席。
4月5日の入学式から11月5日の今も尚空白のその席。
奥山晶。
その人の席。
大きな病気を患ってるとか、実は芸能人で中々出席できずにいるとか、引きこもりで学校に来れないとか色々噂されている奥山。
7ヶ月も経って学校に来れないのなら、一度も学校に来ることもないまま辞めてしまうのだろうか。
私はいつも空白のその席の隣で授業を受けている。
海の近い校舎の3階。
その空白の席越しに見る海はひどく穏やかで、そのゆったりと流れる景色はまだ会ったことのない奥山晶を想起させた。
奥山晶はどんな人なのだろうか。全く見えない彼女の面影が思い浮かんでは泡の様に消えていく。
消えていく、知るはずのない彼女の残像はとても儚げで、可憐で、切ない。
その消えてしまいそうな存在が、会ったこともない奥山晶が、退屈でつまらない日常に淡く彩りを加えている。
いつも騒がしい教室で、空白の席と席越しに見える海だけが静寂さを保っていた。
「明日、奥山晶が来るらしいぜ。」
自称情報通の男子が2時間目の授業後の休み時間中大声で言った。
ザーッザーッと耳にノイズ音が被さる。
私は他人事の様に聞き流すふりをして次の授業の準備をした。
「まじっ!?退学にならないですんだんだー!」
授業中は携帯を弄って大人しいが、休み時間中はボリュームを上げすぎたテレビのような声で話すギャルな女子が反応する。
その女子の反応を皮切りに、教室は騒めく。
ザーッザーッザーザーッ。
ノイズ音はどんどん大きくなっていく。
今まで全く誰にも興味を持たれず、消えかけていた奥山晶は、まだ姿を見せていないのに急に大きな存在へと変わった。
7ヶ月。
短いようで長い彼女の空白期間は、登校するというたった一つの事実だけで大きな騒めきを生んだ。
いつものように空白の席越しに見つめる。
空白の席越しにみる海は今までとは何か違う荒だったものに見えた。
波はいつも通り、砂浜も、空もいつも通りのはずなのに、どこか荒だって見えた。
この空白越しの海も今日で見納めだというのに。
明日からの日々はどんなものになるのだろう。
いつも見ているようで全く見ていなかったその空白の席を、私はまじまじと見つめた。
しっかりと見てなかったからこそ神秘的とさえ思えたその席は、何の変哲もないただの机と椅子だった。
奥山晶にとっての私も特別な人間ではなく、今騒いでる他の生徒と何も変わらない有象無象なのだと今更ながらに気づく。
明日、奥山晶が来る。
奥山晶残像に縋っていた時間が、奥山晶本人の手で消されていく。
明日、奥山晶が来る。
ノイズ音はうるさいまま。
明日、奥山晶が来る。