【雑記】歴史を動かす時の感情とはどういったものなのだろうか。(タ)
歴史は長い。
仕事が終わるまでの30分が物凄く長く感じる中、歴史は何万何億年と続いてきた。
もしその何億を超える時間を生き存えたのであればそれはもう途方も暮れる思いをするだろう。
しかし、その何億もの間の月日はただ流れ去ったわけではない。
幾重にも激動の唸りを繰り返してきた。
幾千にも分かれる選択がなされてきた。
一つでも違う選択をしたのならばその良し悪しはともかく全く違う時を過ごすことになっていただろう。
こうしてソファに寝転がってだらだらしている今も、もしかしたら地べたに這いつくばっていたかもしれないし、雲の上で鳥の囀りを聴きながら眠っていたのかもしれない。
誰かが歴史を紡いで、それが折り重なってようやくソファに寝転がってだらだらできる。
そう思うとその誰かはとても偉大で、その誰かには感謝してもしきれない。
その誰かが少しでも恵まれた人生であったらいいなと思うのだが、恵まれた人生の定義は人によって違う。
万人にとっての幸せがその人個人にとっての幸せになるとは限らない。
人には感情があり、その感情が幸せの起因となっていることは自明の事実だと思う。
幸せになるために人が生きているのだとしたら、その幸せになるために必要な行動は、幸せになりたいという感情を元に動いているはずだ。
その感情は大なり小なりあると思うが、その感情がどういったものだとそれが行動へ昇華され、はたまた歴史を動かす結果となるのだろう。
今現在、ハッピーアイスクリームを結成してから2年半ほど経ったけれど、ハッピーアイスクリームの歴史はまだ大きく動いているとはいえない。
全く動いていないわけでもないだろうが、動いていると実感するほど大きくは動いていない。
彼らはどんな感情で日々を生きてきたのだろうか。
幸せになるためにどんな行動をし、その行動を起こすにあたった感情はどう芽生えたのであろうか。
行動を変えるのも大切だが、行動を変えるための感情をどう芽生えさせるのか、それが日々を生きる上で大切なのかもしれない。