ハッピーアイスクリーム~自由を望む2人の民~

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【文章力】2000文字を1文で書くチャレンジの文を解体し、ブログ調へと直すチャレンジ(タ)

こんにちは!
タクです。

前回の記事で2000文字を1文で書くチャレンジに挑戦しました。

happyicecream-okaeshi.hatenablog.com

途中何度も心これかけましたが何とか書き上げました。
恐らく読める文とはなっていますが、読み辛さは否めないです…!
さて今回の記事は昨日の2000文字を1文で書いた内容を句点を入れて文章化する作業をしていきたいと思います。
前回と今回を読み比べてみて是非、どんな印象の違いがあるのか吟味してみて下さい!

それでは、いってみまーーーっしょう!(ミライアカリ風)


日本人の文章力は学校で学んで身につけるものではなく、個人個人の自然な技術磨きによって身についていくものであると思う。

なぜそう思うかというと、国語の先生から文章としておかしなところの指摘を受けることはあれど、一から文章力を身につけさせるような指導をされた記憶がないからだ。

自分が思うに、結局のところ文章力は、個人個人が文章を書いたり読んだりする中で身につけていくしか術はない。

文章力を上げようと努力しない限りは文章力は身につかない。ましてや魅力的な文章や説得力のある文章を書こうと思うのであれば尚更、自分自身で試行錯誤する必要がある。

いわゆる文学界の著名人の文章が個性的であり素晴らしいと評価されるのは、その著名人が崇高な教育を受けて育ち、高度な技術を持っていたからではない。

文章を身につけるにおいてとにかく書き続けて表現力を磨いた結果、唯一無二の文章力を手に入れたからだ。

文章力がないことを嘆き、筆を置いてしまった作家のたまごたちは、崇高な文章を書くことにおいて、正解があるものだと思い、その正解に辿り着かなかったがゆえに、自分には物書きは向いていないのだと落胆してしまった結果、筆を置く結末を迎えたのかもしれない。

しかし、それは遠からず近からずの勘違いである。

国語の先生が一から文章力を指導しないことからも分かるように、文章力の良し悪しは主観的なものが強い。

本当の意味で客観的にいい文章だと、万人が受け入れるようなものを書く絶対の術はないため、今回のこの途方もなく長い一文も、捉える人によっては文章力のある文章足りうる文章であるかもしれない。

となると、文章力を上げるためにあえて読み辛く駄文であろう長い文章を書くという目的が、駄文であろう長い文ではなく、文章力があり、名文足りえる文章を書いてしまったことで、逆説的に文章力があったことが判明し、この文章を書くことが文章力をつけるための文とは言えなくなる。

そうなれば、そもそもこの文を書く意味が失われるという、ある種の矛盾が生まれ、なんでこんな意味のない挑戦をしてしまったのだろうと心挫けそうになる。

だがしかし、当文章を書いている自分が思うに、既にこの文章はいい文章ではないと、自身の主観から、割と確信に近い自負がある。

よって、悲しいことだが、まだ2000文字に辿り着くまで1000文字以上あるこの一文2000文字チャレンジを続ける意味は結局のところ担保されているのだ。

ということで、既にへとへとの状態であれど、この恐らく駄文であろう一文をマラソンランナーのように書き続けていかなければならない。

ここは趣向を変えて、先に述べた主観と客観について僕が好きな「クドリャフカの順番」の一説を句点がつかない程度に引用し、自分だけでなく、名作家の文章からこの文章を書に続けるかどうか問題を吟味しよう。

早速この文を読んでいる皆様に小説や漫画において以下の引用について考えて欲しい。

「誰の、どんな作品も、主観の名の下に等価(クドリャフカの順番 p357)」
「面白いかどうかは結局主観の問題で、合う合わないが結局本質的なんだっていう意見(クドリャフカの順番 p357)」。

それに対する「漫画以外の、音楽とか、小説には、普遍的な名作とか傑作って言われるものが存在している(クドリャフカの順番 p112)」という二つの考え方。

さて、仮にこの長々しい文章を「誰の、どんな作品も、主観の名において等価」であり、「面白いかどうかは結局主観の問題で、合う合わないが結局本質的なんだって意見」に則って考えたとする。

すると、いつかこの文章も誰かの本質的であると見なされている、「主観」に引っ掛かり、それが仮に多数の人間の主観に何の間違いか引っかかることがあるかもしれない。

そうした場合この文章が文学界の著名人など崇高な文章力を持つとされてる方からしてどんなに駄文であろうが、どれだけ誤字脱字があろうがこの文は歴史に残る一文足りうる文へと昇華することとなる。

逆に「漫画以外の、音楽とか、小説には、普遍的な名作とか傑作って言われるものが存在している」という考え方に則って考えたとする。

その普遍的な名作という誰が考えたのか基準か分からないが、誰もが納得するその基準に当てはまったとする。

その場合たとえどれだけの人に拒絶されようとも、この文は歴史に残る一文たりえる文へと昇華される。

どちらにせよ、自身がどんなに駄文と思おうともあと200文字ちょっとで2000文字に到達するこの文を、自身の中にある文章力を存分に使い、文章を書き連ね、もはや文と呼べるかどうかすら怪しい上に、好きな著書の名文をそれなりに長く、かつ句点がぎりぎり入らない程度に引用したことを後悔しながらも、最後にこの文を諦めず最後まで読んでくださった辛抱強い皆様に感謝の意を込めて一言、

「ありがとうございました。」

と締めさせて頂きます。



いかがでしたでしょうか。
この文章(文)にも書いてあるように、どのような形であれ、主観的に良いと思われる、もしくは誰が決めたか分からないが誰もが普遍的な名作の要素を内包していれば、この文章(文)は名文になっているかもしれません。
逆も然りでどんな形であれ駄文となりうる。
(この文章を名文とは全く思わないけれど…。)
でも名文であれ、駄文であれこの文章(文)の書き方によって受ける印象が大なり小なり変わるのであれば、書き方を変えてみた甲斐があったもんです。

皆さんも文章を書く際にどういう意図で書こうかと考えながら書いてみると、楽しく文章が書けると思いますので、是非やってみてください。

どこかでこの謎の試みが行われるのを楽しみにしてます!

タク


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