【雑記】凝り固まった考え方を持ち直そうと思う。(タ)
よく人に変わってるねとか言われるが、変わってる度合いはさほど大したことないと思っている。
最近は特に平凡極まりない生活をしていると思う。
それはスマホを見る時間がめちゃくちゃに増えて、仕事に拘束されている時間があり、自分の視野で物事を見る機会が減ったからだと思う。
偏見はよく悪いものだと揶揄される。
それは偏見だから良くない。偏見は持たない方がいい。
社会は公共の福祉の上でなりたっているため、その考え方は分かる。
だが、偏見は持っていて大いに結構だと個人的には思う。
人と共に生きていくのであれば偏見で判断し、それを行動に移すことで、人に仇なすこととなるかもしれないため偏見は一見悪だと思われるけれど、偏見を人に害を与える形で明確に出しさえしなければ偏見を持つこと自体は悪いことではない。
むしろ偏見を持つことこそ、その人がその人たる所以となり、万人の考えに染まることがその人の人生を曖昧にしてしまうのではないかと危惧している。
だから、人の考えを学ぶ上でインプットをしたり、人と平和に暮らすためにアウトプットしたりすることとは、別に凝り固まった考え方を持ち、色眼鏡で人を見ることも必要なことだと思う。
凝り固まった考え方をかつては存分にもっていたけれど、いつのまにか社会の荒波に飲まれてぐにゃぐにゃに柔らかくなってしまった。
スマホをいじりすぎず、自分の価値観を大切にし、凝り固まった考え方を持ち、偏見を沢山しよう。
退屈になり始めた人生を偏見で塗り替えよう。
そう思った。