【雑記】給付金はおかんに2万寄付したこどおじの思考
おとんから給付金を渡された。
うちは基本平和なので給付金関連で争いはなかった。
渡された給付金で何をしようかまだ決めておらず、とりあえずは貯金しながら考えるかなぁといったところ。
なんだかんだで普通に日々を生きていれば10万なんてすぐに消費されるだろう。
これが100万とか貰えたのなら何かいいものを買いたいと思うだろうけど、10万であれば少しずつ消費って感じになる気がする。
特に欲しいものがあるわけではない。
欲しいものが見つかったら買えるようにとりあえずは貯金かなぁと思う。
ただ、10万を貰うとしたらそのうちの幾分かは母に渡そうと思っていた。
コロナの影響で父は毎日テレワークで家にいるし、妹も大学が休みで家にいる。
それに対して母と自分はそれぞれ職種柄出勤し続けている。
自分は出勤しているとはいえ、いつも以上に家にいることが増えた。
残業もほぼほぼなく、帰りに寄り道せず、休みの日も外に出ずでなんだかんだ家にいる時間は長い。
そのため母だけがいつも通り仕事をしながらも、いつも以上の家事もしなければならず、苦労が増える結果となった
そんな母を気遣って(正確にいうと文句を言われたくなくて)妹は金曜に夜ご飯を作り、皿洗いをするようになった。
父も洗濯物を取り入れたりなんなりしている。
だが自分はというと、さほど今までと変わることなく生活している。
もちろん感謝の気持ちはいつも以上に伝えているし、母の愚痴もいつも以上によくきくけれど、母の手伝いをすることはあまりなかった。(手伝うようになったのは夕飯の皿運びくらい。)
だから給付金は母に2万渡すことにした。
父や妹と違って何もしていないからとりあえず2万渡した。
母からは感謝されたし、2万渡すことに他意はないし、後悔もないのだけれど、この2万を渡すことはある意味で逃げの手段だった気がする。
労いの2万ではあるが、国から貰った金を母に渡すことにどれほどの意味があるのだろうか。
よく分からない。
家に毎月5万いれているから、まあ家に住むことに対しては、罪悪感とかあまり感じてはいないけれど、親孝行というかなんというか、もう少しそういうのもやった方がいいような気もしている。
でもやっぱりそういう気持ちは行動に伴わず、なんともいえない心持ちで2万を渡してしまった自分になんだかなぁと思ってしまう。
堂々と母を労える日はくるのだろうか。