【雑記】凝り固まった考え方を持ち直そうと思う。(タ)
よく人に変わってるねとか言われるが、変わってる度合いはさほど大したことないと思っている。
最近は特に平凡極まりない生活をしていると思う。
それはスマホを見る時間がめちゃくちゃに増えて、仕事に拘束されている時間があり、自分の視野で物事を見る機会が減ったからだと思う。
偏見はよく悪いものだと揶揄される。
それは偏見だから良くない。偏見は持たない方がいい。
社会は公共の福祉の上でなりたっているため、その考え方は分かる。
だが、偏見は持っていて大いに結構だと個人的には思う。
人と共に生きていくのであれば偏見で判断し、それを行動に移すことで、人に仇なすこととなるかもしれないため偏見は一見悪だと思われるけれど、偏見を人に害を与える形で明確に出しさえしなければ偏見を持つこと自体は悪いことではない。
むしろ偏見を持つことこそ、その人がその人たる所以となり、万人の考えに染まることがその人の人生を曖昧にしてしまうのではないかと危惧している。
だから、人の考えを学ぶ上でインプットをしたり、人と平和に暮らすためにアウトプットしたりすることとは、別に凝り固まった考え方を持ち、色眼鏡で人を見ることも必要なことだと思う。
凝り固まった考え方をかつては存分にもっていたけれど、いつのまにか社会の荒波に飲まれてぐにゃぐにゃに柔らかくなってしまった。
スマホをいじりすぎず、自分の価値観を大切にし、凝り固まった考え方を持ち、偏見を沢山しよう。
退屈になり始めた人生を偏見で塗り替えよう。
そう思った。
【雑記】給付金はおかんに2万寄付したこどおじの思考
おとんから給付金を渡された。
うちは基本平和なので給付金関連で争いはなかった。
渡された給付金で何をしようかまだ決めておらず、とりあえずは貯金しながら考えるかなぁといったところ。
なんだかんだで普通に日々を生きていれば10万なんてすぐに消費されるだろう。
これが100万とか貰えたのなら何かいいものを買いたいと思うだろうけど、10万であれば少しずつ消費って感じになる気がする。
特に欲しいものがあるわけではない。
欲しいものが見つかったら買えるようにとりあえずは貯金かなぁと思う。
ただ、10万を貰うとしたらそのうちの幾分かは母に渡そうと思っていた。
コロナの影響で父は毎日テレワークで家にいるし、妹も大学が休みで家にいる。
それに対して母と自分はそれぞれ職種柄出勤し続けている。
自分は出勤しているとはいえ、いつも以上に家にいることが増えた。
残業もほぼほぼなく、帰りに寄り道せず、休みの日も外に出ずでなんだかんだ家にいる時間は長い。
そのため母だけがいつも通り仕事をしながらも、いつも以上の家事もしなければならず、苦労が増える結果となった
そんな母を気遣って(正確にいうと文句を言われたくなくて)妹は金曜に夜ご飯を作り、皿洗いをするようになった。
父も洗濯物を取り入れたりなんなりしている。
だが自分はというと、さほど今までと変わることなく生活している。
もちろん感謝の気持ちはいつも以上に伝えているし、母の愚痴もいつも以上によくきくけれど、母の手伝いをすることはあまりなかった。(手伝うようになったのは夕飯の皿運びくらい。)
だから給付金は母に2万渡すことにした。
父や妹と違って何もしていないからとりあえず2万渡した。
母からは感謝されたし、2万渡すことに他意はないし、後悔もないのだけれど、この2万を渡すことはある意味で逃げの手段だった気がする。
労いの2万ではあるが、国から貰った金を母に渡すことにどれほどの意味があるのだろうか。
よく分からない。
家に毎月5万いれているから、まあ家に住むことに対しては、罪悪感とかあまり感じてはいないけれど、親孝行というかなんというか、もう少しそういうのもやった方がいいような気もしている。
でもやっぱりそういう気持ちは行動に伴わず、なんともいえない心持ちで2万を渡してしまった自分になんだかなぁと思ってしまう。
堂々と母を労える日はくるのだろうか。
【雑記】何故こんなにも仕事がしたくないという感情が湧くのか。
以前から仕事がしたくないとブログに吐露しまくっているため、このブログも大概とろっとろになってきたところではあると思うが、何故自分はこんなにも仕事がしたくないのだろうか。
仕事の内容が特別大変かというと今はそうでもない。
むしろ世間のサラリーマンの方々に比べれば大した仕事をしているわけでもないし、コロナの影響もあってか残業もほぼほぼない。
しかし、仕事中はもちろん、仕事前後も休みの日も、何をやっていても心の片隅に仕事をしたくないという感情がふつふつと煮えたぎっていて、煮えたぎっているどころか言動にその感情が出てしまっている。
そのせいで今期のボーナスも部署のボーナス評価はいいのに、個人のボーナス評価は悪く、結局大した額貰えない結果となってしまった。
ただでさえ仕事をしたくないのに、さらにモチベーションは落ち、なんで世間の人々はこんなにも仕事に対して前向きな感情で臨めるのだろうと思う反面、なぜこうも自分は仕事をしたくないという感情にこんなにも振り回され続けているのだろうと思う。
そこで思いついたのが、仕事をしているという真面目な自分が、自分のなりたいと思っている自分から乖離しているからなのではないだろうか、という考えである。
今のところブログとたまに投稿している小説サイトの小説でしか表現の場を持てていないものの、自分の憧れは昔から芸術家であり、なんの表現でもいいからその特異性を人に評価されたいという欲が強い。
以前クロの記事にも書かれていたが、ブログや小説を書く際に、僕は自分の今思っていることや感情を元に表現する気質なので、仕事にひたむきな感情を表現しようとするとなんとも自分自身で真面目すぎてつまらないなぁと感じてしまう。
そのつまらないなぁという感情が、仕事がしたくないなぁと思う感情へと繋がってるのではないだろうか。
王道でベタな展開というのは、ハマればとても面白いけれど、僕はそういった展開よりも、邪道で、物珍しい展開の方が好みだ。
人を見るときも結局のところ常識的な人とつるみがちだが、いわゆるクズ人間と言われている人や、怠惰な人、性格に難のある人の方が面白いと感じている。
そのため、芸術家であり、表現者であろうと思えば思うほど仕事に対して億劫になり、綺麗に誠実に生きようとする自己を否定し、仕事がしたくないと感じるのではないだろうか。
仕事の内容が好きならばともかく、好きでもないのに、まるでその仕事が好きでたまらないかのような能動的に働くことに抵抗を感じるし、そういう人をみると、こっちにもそのスタイルを強要してきそうな感じがして、距離を置きたくなってしまう。
なんでやりたくもない仕事に精をださなければならないのか、その納得のいかない感情が綺麗事や王道への嫌悪につながり、今日も今日とて仕事がしたくない感情に支配される。
結局のところどうしてそのような感情になってしまうのか、文章を書くことで整理はできたが、仕事がしたくないという感情を変えることは到底できず、明日からまた始まる1週間に嫌悪感を抱く。
【雑記】今の技術で倫理観だけ超絶進化したらどんな社会になるだろう。(タ)
今の技術革新は目覚ましい。
しかし、この技術革新に倫理観は追いついているだろうか。
追いついているような追いついてないような…といった感じだ。
倫理観が追いつくとか追いつかないとかというのは結局のところ主観に依存してしまうのだが、この倫理観が超絶進化したらどうなるだろうと思う。
今回はそんなことを妄想しながら雑記していこう。
まず、倫理観の中で信頼が超絶進化したら、クレジットカードの名義確認や酒タバコの年齢確認等の確認作業が必要なくなる。
必ず本人がクレジットを使い、未成年は酒タバコを使うのが前提だが、そうした倫理観の超絶進化により、余計な手間をかけずに買い物ができる。
倫理観の中で、自律心超絶進化すれば、必要以上のサービスはなくなり、仕事の簡易化が促進される。
セルフレジの普及等進めば、お店や企業はは無駄な人件費をかけずにすみ、その分違ったより便利なサービスに力を入れることができるだろう。
倫理観の中で自制心が超絶進化すれば男女別でのものがなくなる。女性専用車はなくなり、なんなら風呂やトイレすら別じゃなくなるかもしれない。
倫理観の中で法を守る心が超絶すれば、警察や裁判官や警備員も必要最低限ですむ。軍隊も戦争もなくなり、当たり前に平和な日常を過ごせる。
なんなら国という概念がなくなっても平和な世界となるだろう。
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以上のように倫理観の超絶進化は今の技術でさえ限らない自由を手に入れることができる。
しかし、実際のところ、ここまで倫理観は極端に変わらないし、仮に変わってしまったら、それは人間らしさのない空虚な社会になってしまうだろう。
でもそうした超絶進化した倫理観を持つ人々の社会を妄想すると、今の倫理観でここはもう少し変えたらいいんじゃないかという考えの糸口が見えてくる。
技術の進化だけでなく、倫理観の進化がより良い社会に近づきたいと思うのであれば、一度倫理観が超絶進化した世界を妄想してみるといいのではないだろうか。
【雑記】絵文字だけでブログを書く。
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【漫画・アニメ】鬼滅の刃連載終了。綺麗に終わったよなあれ。(タ)
鬼滅の刃の連載が終了した。
進撃の巨人以来のブームを巻き起こした鬼滅。
まだTikTokでは鬼滅の刃コスプレをして踊っている女子が沢山いるのに早々と幕を閉じた。
家族を鬼に殺され、妹は鬼になってしまった主人公の炭次郎は家族を殺し、妹を鬼にした宿敵無惨を倒すとともに、妹のねずこを鬼から人間に戻すという二つの目的で旅に出る。
炭次郎は旅の中で鬼殺しの専門部隊鬼殺隊に入隊。
水の呼吸などの奥義を身につけた炭次郎は宿敵無惨と無惨の力をより強く受け継いだ直下の鬼、上弦下弦の鬼と鬼殺隊のの中心メンバー「柱」と共に戦っていく。
果たして炭次郎は宿敵無惨を倒し、妹のねずこを人間に戻すことが出来るのか。
といった話で展開していく鬼滅の刃。
炭次郎の主人公像は、ジャンプの漫画の主人公にしては理知的だし、おおらかだし、一歩引いて戦うことが多いしで、かなり異質だったと思う。
炭次郎のひたむきな姿勢と強さは敵対視した者でさえも認める。
あの無惨でさえも。
他のキャラをとっても鬼滅の刃のキャラクターは今まであまり見たことがないキャラクター性を持っていて、その性格の根源なる描写もしっかりと描かれているので読んでて興味深く感じた。
鬼滅の刃は戦いに無駄な感情描写がなく、その代わり戦い後の感情描写を丁寧に描いている印象がある。
ビビリでうるさいキャラもいたが、戦闘描写はそのビビリキャラでさえリアルに描いていて、戦いを止めて喧嘩したり、戦いの最中ギャグパートがあったりと非現実的な描写は他の漫画に比べてかなり少ない。
そのため戦い方が多少地味であっても、戦闘描写に魅力を感じることができた。
戦闘後の感情描写は一つ一つ丁寧に描かれていて、なぜ戦うようになったのか、戦いを終えてどんな感情で死んでいくのかしっかり読むことができた。
鬼滅の刃は確かに画力はあまりない地味な漫画で、高い作画力のあったアニメが始まったことを皮切りに飛ぶように人気になったが、絵の改善だけでなく、アニメ化してより一層ストーリーやキャラが際立ったからここまでの人気になったのだと思う。
最終話は炭次郎たちの子孫と炭次郎たちの生まれ変わりが暮らす現代パートの描写が為され幕を閉じたが、作品のテーマだと思われる死生観をしっかり描ききり、綺麗に終わった印象を受けた。
現代編をやっても別に良かったと思うが、これはこれでいいんじゃないかと思いつつ、自分はジャンプをそっと閉じする。
【雑記】有能にならなきゃ楽になれない世界
今日の仕事はまじでやることがなかった。
テレワークで午前中に会議に参加して、その議事録を提出したらやることがない。
一応先輩に仕事ないんですが、サボってると思われたくないので、なんかしらくださいといって仕事をもらった。
一昨年までは店で仕事だったので、やることがないなんてことはなかったが去年からは営業所で仕事となり、まだ下っ端なので割と暇なときは暇。
暇ながらも仕事を見つける同僚を見ては熱心にやってるなぁと眺めていた。
怠け癖があるので普段の仕事は有能な同僚に任せるところは任せて、自分のやれるところだけちょこっとやる仕事スタイルでいた。
今日もほどほどに仕事をしてごろごろするかな、そう思っていた。
しかし、いざ今日の仕事が始まると、その仕事の終わらなさに絶望した。
普段議事録はなんだかんだで同僚に任せていたのだが、今日は議事録をとる人がいなかったので自分が担当した。
議事録を取ってる最中回線が途切れたり、会議で話す人が早口だったり、パワポの量が多かったりして混乱に混乱が続き、会議が終わってかなり時間が経ったにも関わらず議事録を書き終えることができなかった。
なんとか議事録を終わらせ、エクセルでとった議事録に補足として発表のパワポを貼ると、メールで送れる重さじゃなくなり、自分のパソコンがポンコツなのかもしれないが、とった議事録をメールで送るのにもだいぶ時間がかかった。
議事録送付もなんとか終えた後、先輩に振られた仕事に手をつけたがこれもまた要領が悪くて全然進まない。
結局終業時間過ぎて、残業してなお、普通以下の仕事しかできなかった。
あまりサボることなくテレワークを進めていたが、仕事が遅いがために、何も知らない上司からはおそらくめちゃくちゃサボってるやろこいつと思われてることだろう。
最悪である。
気持ちとしてはサボりたい気持ち満々だったのに、全然サボることなく仕事が滞ってしまった。
今後コロナの影響で時間に縛られず、成果主義の世の中になったら、有能な人は短い時間に集中して働いて大きな成果を出し、大きな報酬を貰いながらも長い余暇を楽しめるようになるだろう。
逆に無能な人はいつまでも仕事が終わらず、大した成果も出せず、働き続けることとなる。
今日の仕事ぶりからして自分は後者になりそうな気がしてならない。
楽な世の中を求めるも、楽側に回らない自分を省みると絶望しかない。
はぁぁぁぁぁぁん有能になるなきゃ。
タク