【文章力】文章は言葉の塊であり、語感の塊である。(タク)
文章を書く時は自分の伝えたいことをどれだけ伝えられるかを一番に考える。
その伝えたいことをどれだけ豊かに言葉で彩るかもかなり気にしている。
そして、その二つに次いで気にしていることがある。
語感である。
読みたい文章には知るとか、感じるという意味での読みたい文章と、声に出したいとか噛みしめたいという意味での読みたい文章があると思う。
前者は当たり前に気にするところだが、後者は中々気にすることなく文章を認めてしまい、書き終えて読み返すと、あぁなんだこの文章はと落胆してしまう。
僕の文章は文一つ一つが長い。
昔現代文の先生が、文は短くまとめ、接続語で繋いだ方が読みやすいよと言っていた。
明治大学文学部教授である齋藤孝先生も同様に長々とした書くのではなく、要約した語彙を使い手短に文章をまとめた方がより豊かな文章が仕上がると言っていた。
僕もそれを意識して書くようにしているし、誰かに何かを話すときはなるべく短めに話すように心がけている。
が、僕は自分の長い文が割と好きで、自分の文に語感の良さを感じるのは自身の書いた長めの文を読み返した時が多い。
Twitterの長文とか読むと辟易とすることが多々あるのに、不思議なもので自分で書いた文章はなぜか長めに書いた方が良く感じてしまう。
多分、恐らく、ほぼほぼ100%自己満足なのだが、自分の長文を読むときの心地よさは、他の文章のそれを遥かに凌ぐ。
まあそう感じるのは無理もないかもしれない。
自分の文章は自分で書きながら読んでいるので、自分が読みやすいように文章を認めている傾向にある。
自分が読みやすいように認めたものが読んでて心地良くないわけがない。
ただ自分が読みやすい文章が必ずしも他人の読みやすい文章とは限らない。
先にも述べたが、長い文章は読みにくいことが多い。
さらに独特の表現の仕方や言葉選びが、他人からすれば読みづらいことも往々にしてあると思う。
さらに長い文は長ければ長いほど誤字脱字の可能性も高くなる。
書いた当初はいい語感だと思うも、読み返すとん?なんだこれは?と思ってしまう、そんなことも多々ある。
文を書く途中は短い言葉の塊を断片的に読みながら書くが、その一つ一つをまとめて読み進めると、ちぐはぐな文章になってしまう。
他にも、伝えたいことを表現するのに語彙が思い浮かばなかったり、まとめて読んだ時につっかえることが多いなと気づいたりと、伝えたいことを100%伝え、それを豊かな言葉で彩り、語感が良いと思う文章を書きあげるのはとても難しい。
国語力と語彙力と感性と発想力とその他諸々の能力をバランスよく発揮し形作る、それがきっといい文章を書くってことなんだろう。
文章を書くだけじゃなく、文章を読む中で、より自分の好きな文章が書けるようになれたらいいなと心から思う。
自分の思い描く以上の文章がかけたのなら、それはどれだけ気持ちが良いことだろうか。