【雑記】虚像の正義について (タ)
世の中絶対に正しいこともなければ絶対に間違っていることもない。
しかし主観の相互作用に、人口量が増加し、その枠を広がれば広がるほど、多数に共通する主観が絶対的なものとなり、その最大公約数が虚像である正義を生む。
大きな戦争であれ、小さな喧嘩であれ、この虚像の正義により善悪ははっきり区別され、時に多くの犠牲を生んだ後、争い収束していく。
虚像の正義はあって然るべきものであり、ある程度は身を預けるべきものでもあるが、常に疑わなければならない。
虚像の正義が必ずしも自身に利をもたらすとは限らないからだ。
そして我々は虚像の正義に牙をむかれたらどのように振る舞うかを常々考えなければならない。真正面から歯向かうか、虚像の正義に従うか、対抗するために徒党を組むか、虚像の正義自体をひっくり返すか新たな虚像を生むか…
快適な人生は人それぞれであり決して同じものではない。安穏に恋い焦がれているのか、栄華を手に入れたいのか、どう生きるかで虚像の正義は敵にも味方にもなりうる。なんにせよ万人にとっての正義はないことを自覚し、工夫して生きなければ幸福は実現しない。
野に放たれた獣のように荒野を生きるために、何が必要で何が不必要なのか考えさせられる闇めいた社会。