現実逃避の質を上げれば現実も輝くのではないか
それにしても近頃の現実はひどいもんである。
コロナは流行るわ、寒いわ、だるい仕事が多いわ、遊びの予定がブッキングするわで大変ひどいもんである。
一個問題が解決して一息つこうとするもまた問題が発生する。
一つ計画を立てると、すぐに計画を邪魔する予定が立つ。
今年の漢字は密とかいう微妙な感じで締め括られ、嵐はもうすぐ解散。
東京を中心としてコロナ患者が増え自粛ムードもぶり返しつつある。
現実を真っ正面から見れば見るほどに、現実というのはいかに怠く、面倒なものであろうか。
日光の三猿ではないが、現実のことなど見ざる言わざる聞かざるとスルーしたいことばかりである。
そんな現実に対して世の歌や小説は大抵立ち向かえと声をあげてプッシュするが、現実なんぞ逃避するに越したことはない。
明日やらなければならないこと、昨日までに犯してしまったこと、今日発覚した問題でさえ全てを空と見做し、無視してしまえばよい。
現実のことを考えれば考えるほどに、頭の中は氾濫し、混沌に支配されるのだ。
現実を生きる最中で現実逃避の質を上げることを意識したことはあるだろうか?
現実逃避の質を上げ行動したり、思考を巡らせたことはあるだろうか。
大なり小なりあるだろうが、現実を生きる上で、現実逃避を上げることは重要だ。
好きな音楽を増やすとか、とりあえずエッチな絵を描いてみるとか、クソゲーを進めたり、惰眠を貪ることは大切なことだ。
現在で暗いことがあったなら現実逃避の質を上げ、人生のコントラストを調整する必要がある。
頑張って、頑張って、それでも頑張って現実と向き合い生きることは立派なことだと思う。
そうしなければ成し遂げられないこともあるだろう。
でもそれと同じくらいに、現実逃避の質を上げることも立派なことである。
自分を守る上でも、他人と関わる上でも、自分の精神衛生を保ち続けること、それは時として現実に真摯に向き合うことが正しい方法じゃない時もある。
現実と離れた位置に自分を配置し、現実以外にも自分の場所があることを自覚すれば、その非現実が現実を輝かせることに繋がる。
現実の自分と、非現実の自分のどちらも大切にし、現実と同じくらいに現実逃避に力を注げば、輝ける未来を手繰り寄せることができるのかもしれない。