ゆたぼんはこのままずっと不登校なのか
こんにちは!
タクです!
今回の記事は、
大分前にニュース等で物議を醸し出した小学生革命家ユーチューバーゆたぼんについて軽く書いていこうと思います!
ゆたぼんってのがどこの誰でどんな子どもなのかは正直分からないし、別に興味はないのです。
でも、ゆたぼんが学校の宿題やテスト等の面倒ごとが嫌で不登校になっているという話をきいて、僕は彼の行先や今後に関してはとても興味があります。
嫌なことから逃げても、やりたいことをやり通していけばなんとかなる的な主張。
こういった主張は今までもごまんとみてきましたが、その主張を行動に移してきた人はあまりみたことがないですし、ましてやそれを小学生から実践している人なんて僕はみたことがありません。
なので、彼が今後同じような考え方で大人になったらどうなるんだろうと興味が湧きます。
ただ、個人的に学校での生活はこの人生においてもっとも楽しい時間だったので、その時間を手放して大人になるのはもったいない気もします。
学校ほど同年代の男女が集い、同じことをやり、苦楽を共に出来る場所ってないから、社会の荒波に飲まれ、歳上歳下との関わりに未だに慣れない僕にとって学校は、未だに天国そのものだと思います。
ゆたぼんは学校自体が嫌いなのでしょうか。学校に行かない理由が宿題やテスト勉強ならそこだけサボればいんじゃないかとも思ってしまいます。
ただ、そういった環境が好きな人もいれば嫌いな人がいるのも事実で、嫌いな人にとっては学校って地獄なのかもしれません。
ゆたぼんにとっての地獄と僕にとっての地獄は違うので、彼が地獄と感じるのであればまあ行かなくてもいいのかもしれません。
学校はそういった青春的な要素の他に、当たり前ですが、将来に向けての勉強的な側面があります。
その勉強に関して、彼はどう進めていくのでしょうか。
国語とか数学とかみたいな学問的な部分では塾とか家庭教師の方が専門的なことを教えてくれるような気もします。
そういう意味では目的がはっきりしてる分、そこらの小学生より学力はゆたぼんの方がついてるかもしれません。
体育や図工、美術関連の授業も習い事として学習してれば専門的な力はつきそうですよね。
学校に行かない分時間はあるので、学校に行く分そういった塾や習い事をしてもなお時間は有り余る気もします。
ただ義務教育中はほぼ無料で授業が受けれる学校に対してお金は大分かかることになりそうですよね。
親が金持ちなら不登校でも技能的な部分は十二分につきそうです。
むしろ、学校が画一的に教育するのに対し、塾や習い事は専門的な教育であるため、一芸に秀でた才能を身につけ、将来に活かすのであれば、不登校の方がいいのではないかとさえ思います。
ただ逆に画一的に教育を受けてないため、伸ばそうと思った才能で挫折すると他の人に大分差をつけられてしまう気も…。
ゆたぼんやゆたぼんの親御さんはそういったことをどのように考えているのでしょうか。
気になるところです。
学校は青春的な要素、学問的な要素以外にも文化祭等のイベントや掃除、ホームルームなど擬似社会としての要素もあると思います。
色んな人と関わりながら社会人として社会に参画する能力を身につけることができる学校に通ってないゆたぼんは社会に参画する際、もしかしたら苦労するかもしれません。
なにしろほとんどの人間は社会に出る前にある程度学校という擬似社会に浸かっているので、その擬似社会での常識が実際の社会の常識として形作られることが往々にしてあると思います。
それこそ、宿題やらテストって大人になってもなんらかの形で何度も出てきます。
こればっかりは学校に行こうが行くまいがそのうちぶつかる問題だと思うのですが、ゆたぼんやその親はどう考えているのでしょうか。
流石に社会に参画しないで生きるのはこの日本という国では難しい気もしますが、はたしてゆたぼんは学校に通わずに社会に参画し、活躍をすることができるのでしょうか。
冷たいかもしれませんが、僕はゆたぼんの将来なんてどうなってもいいと思っています。
身内じゃないので大きな失敗をして、路頭に迷っても関係ないですし。
でも非常に興味はあります。
大きな失敗をするかしないかはまだ分かりません。
大きな成功をしたのならもちろん面白いですし、人生どん底に落ちたのなら、学校の必要性を改めて感じることができるのでそれはそれで面白いなと思います。
ゆたぼんはこのまま不登校を続けるのか、続けるのであればどんな大人になっていくのか、不登校をやめ学校に通うようになったならどういう心境の変化があったのか、とても気になります。
なので今後もゆたぼんにはユーチューバーとしてその行く末をあげていってもらいたい。
小学生から不登校を前向きに選択したゆたぼんのその選択は、今までにないものであることと、大人になって社会にうだうだ言ってる僕からすれば学ぶべきところがあることは間違いないです。
なので、ゆたぼんがどうなるかはもちろんみたいですが、ゆたぼんがどうなるかより、自分がどうなるのかもっと真剣に考えて、行動していかないとかと改めて思いました。