ハッピーアイスクリーム~自由を望む2人の民~

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【小説】天才の慣れ果て

 

自分のことを天才だと思ったことはないが、他人とは違うと少し思っていた。

普通の仕事をやっていても、どうにもしっくりこず、転職を2回ほどした。

転職をしてもやはりなにかしっくりこず、どうしたものかと思いながらも、作家としてやっていきたいという想いは持ち続けていた。

しばらく仕事をしていたが、親元離れた独り身で特に縛られるものもないしプライドもさほどあるわけじゃないから最悪フリーターになってもいいかという想いで会社を辞め作家を目指した。

とりあえず2年は続けてみよう、向いているかどうかはそれだけの時間があれば分かるだろうと今まで貯めた貯金と少しのバイトで生活しつつ、あらゆる賞に投稿した。

最初は要領が掴めず落選したかどうかさえ分からない日々だったが、ある日を境に次々と書いた作品が入選するようになった。

少しのアルバイトと貯蓄での慎ましき生活も、入選が重なり賞金を手にすることが増えると少し贅沢なことができるものへと変わった。

そこからは投稿した小説が入選し、賞金をもらうごとに旅にでては、ながらで小説を書いて投稿するようになった。

大きく変わりばえのある生活ではなかったが、気軽で身軽に生きることが出来るようになった。

30手前にして他人とは少し変わった生き方をするようになった自分に少し戸惑いを感じながらも、まだ身の丈にあった生活をしていた。

少し他人と違う感性があることで、多少の小遣い稼ぎが出来てラッキーだなぁと感じる程度でその時は自分の才能を省みることはなかった。

小さな幸せを積み重ねて日々を充実させることができた。

しかし、30を過ぎて人生の転機がきた。

たまには大きな賞に投稿してみるかと、文学界ではかなり有名な賞に長期で小説を書き投稿したら、大賞を受賞したのだ。

書店でよく特集されている名だたる作家が今までに見たことのない才能の片鱗を感じたとかなんとか評し、自分の書いた小説は文学界で大きな話題となった。

ネットニュースでも自分の書いた小説が取り扱われるようになった。

今までは月刊誌の片隅に掲載され、少しの間贅沢が出来るくらいの賞金を貰うだけだったが、今度は出版社から本を出版しないかと誘われ、担当の編集がつくところまで話が進んでいった。

ことが大きくなり過ぎて、何かとんでもなく悪いことをしてしまったかのような罪悪感に似た感情がぐるぐると渦巻き、気分が優れない日々が続いた。

それでも需要があるのであればと出版の依頼を受け、小説を書くようになった。

一度製本され、自分の書いた小説が本屋に並ぶようになり、それがそれなりに売れるようになると、今までとは比べ物にならないお金が舞い込んできた。

確定申告などの税務処理が面倒で、手続きを税理士に任せるようになると途端に自分の財産が非現実的なものに感じた。

身の丈に合わない額のお金と世間からの期待は途絶えることなく続いた。

編集からは執筆中の作品と並行して、次回作の話も考えるようにと資料やテーマをまとめたファイルを渡された。

気軽に書いていた小説が、中々書き進められないものへとなっていった。

何度も筆が止まり、筆が止まるごとに旧友と連絡を取り、遊んだ。

使っても使っても溢れ出るお金は、一時の感情を昂らせるにはいいが、持続する幸福感を与えてくれるものではなかった。

世間から見れば幸せなはずなのに、幸せになれない惨めな人間だと自己を認識するようになった。

書きたい時に書くのではなく編集に依頼があった時に惰性で小説を書くようになった。

自分の書く文章が面白いのか面白くないのか自分自身では分からなくなっていった。

書いた直後にこの話は、この書き方は本当に面白いのかと疑問を抱くようになった。

それでも小説を書くことはやめなかった。

もう小説を書く以外で生活費を稼ぐ術が自分にはないと思っていた。

そんな心持ちでも書いた小説は飛ぶように売れた。

名だたる作家と肩を並べてるかのように世間からは持ち上げられ、天才とか鬼才などと評されるようになった。

しばらく自分と世間とのギャップに悩んでいたが、自分が思っている以上に世間が自分を評するような日々が続くと、少しずつ自分自身の評価も変わっていった。

自分はもしかしたら天才なのかもしれない、そう思うようになった。

一度そう思うようになると、少し力が抜けた。

よく止まっていた筆もするすると進み、相変わらず面白いのかどうかは自分で判断出来ない小説は次々と刊行され、書店でみる自分のコーナーは年々拡大していった。

33の歳、長い休暇をとることになった。

筆が進み過ぎて、出版社が求める量の小説は既に完成していた。

一度筆を置いてゆるりと休みを過ごしてみれば何か変わるのではないかと思った。

自分自身の心持ちが大きく変わることはなかったが、長い休みをとる中で、なんだかんだと仲良くしていた女性と結婚することになり、プライベートでの環境は大きく変わった。

プライベートが充実することで仕事が全てではないとほっと出来るようになった。

そんな時ふと、自分自身がその出来に満足できる小説を書こうと思った。

世間の目を気にすることなく、いつしかの気軽な気持ちを持ちつつ、自分が納得のいく小説を書いてみたくなった。

自分が思う最高の出来の小説を書いた時、世間はその小説をどう評価するのか気になった。

面白いと思わなくても本が売れるので、逆に自分が面白いと思うものは評価されないのではないかと少し思っていた。

評価されてもされなくても、自分の納得のいく出来で書いた小説がどう評価されるのか気になった。

制作には長い時間がかかった。

出版社が急かす中、適当に小説を書きながらも、陰ながらにその小説を書き進めた。

完成するまで8年かかった。

妻との間にできた子どもも小学生になるまで成長した。

この小説がもし世間から評価されるなら、自分は本物の天才なのかもしれない。

そう思い、出版依頼を出した。

結果は予想以上のものだった。

会心の出来だと自負するその小説は日本だけでなく世界でも絶賛された。

世界の権威である賞にもノミネートされ、世界中でその本は読まれた。

この時初めて自分が伝説的天才であると自覚した。冗談ではなく教科書にのるほどの才覚が自身にあることを知った。

天才は天才を自覚すると、他者からの天才への期待に応えようとし過ぎて、凡人に成り下がるものだと思っていた。

太宰や芥川のような著名な作家は凡人に成り下がるのが嫌で自死を選んだのかもしれない。

自分も自分が凡人になってしまうことが、自身を天才と自覚した今怖くなってしまった。

天才になることも難しいが、天才でい続けることはさらに難しいと感じた。

それからは自分がまだ天才なのかどうか焦燥に駆られる日々が続いた。

納得のいくいかないに関わらず作品は執筆し続けたが、世間からいつやはり凡人だったと烙印が押されるのか分からない日々に怯えた。

だが、その焦りは杞憂に終わった。相も変わらず自分は天才だった。

筆をとれば作品は売れ、評価された。

天才としての自己を失うことがないのだと確信をすると天才とか凡人とかどうでも良くなった。

自分が天才であろうと凡人であろうと本質的な自己は何も変わらないのだと悟った。

天才の慣れ果ては凡人の心持ちと近いのかもしれない。

筆をとるのも、置くのも自分の自由であることが分かると気軽に小説が書けるようになった。

それは小説を書き賞に投稿していた身軽な20代のときと全く変わらないものだった。

そう思うと自分の人生は大きく唸っているようで、平坦な道だったのかもしれない。

 

天を仰ぎながら、平凡な自由を取り戻したと思った時に、今までの人生で1番幸せを感じた。

 

 

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